鬼のお面の意味は、使われる場面によって正反対になります。節分の豆まきでは、鬼の面は追い払われる災いや病の姿です。ところが寺の行事や神楽には、人々に福を運ぶ鬼が登場します。屋根の鬼瓦のように、鬼の顔そのものを魔除けとして掲げる習慣もあります。
鬼の語源は「隠(おぬ)」、つまり目に見えない存在を指す言葉だったという説明があります。民俗学者で世界鬼学会会長の八木透さんによるものです。目に見えないものに顔を与えたのが鬼の面だと考えると、同じ面が悪役にも守り手にもなる理由がわかりやすくなります。
以下、節分の鬼、赤鬼と青鬼の色、福を運ぶ鬼、魔除けの鬼面の順に、それぞれの場面で面が何を表しているかを説明します。
節分で鬼のお面をかぶるのはなぜか
節分の豆まきの源流は、宮中の年中行事だった追儺(ついな)です。中国の「大儺(たいな)」の風習を取り入れたもので、『続日本紀』によれば、日本では慶雲3年(706年)には行われていました。一年の病疫を追い払うため、大晦日の夜に行う儀式でした。
もともとの追儺では、神に扮した方相氏(ほうそうし)という役が、目に見えない疫鬼を追い払いました。鬼は姿を見せない存在だったわけです。ところが平安時代の末になると、鬼を追う側だった方相氏が、逆に鬼に見立てられ、群臣に追い出されるようになります。追われる鬼を、人が演じるようになったのです。
その後、この追儺の風習が節分に入り込みます。『臥雲日件録』という記録からは、南北朝時代にはすでに「鬼は外、福は内」と唱えて豆を打っていたことがわかります。別々の行事だった追儺と節分は、江戸時代に完全に結びつきました。家庭の豆まきで誰かが鬼の面をかぶるのも、この流れの先にあります。鬼の面は、目に見えない災いに形を与え、豆を当てて追い出せるようにする役目を担っています。
京都の吉田神社の追儺式では、古い形がいまも演じられています。黄金の四つの目を持つ方相氏が矛と盾を手に、災厄を象徴する赤鬼、青鬼、黄鬼を追い詰め、最後は桃の弓で葦の矢を放って鬼を退散させます。


赤鬼と青鬼、色の意味には諸説ある
節分の鬼といえば赤鬼と青鬼ですが、地域や行事によっては黄(または白)、緑、黒の鬼も加わります。この色を仏教の五蓋(ごがい、心を覆う五つの煩悩)と結びつける説があり、次のように対応させます。
| 鬼の色 | 五蓋の説で表すもの |
|---|---|
| 赤鬼 | 貪欲(とんよく)。渇望や欲望 |
| 青鬼 | 瞋恚(しんに)。悪意、憎しみ、怒り |
| 黄鬼(白鬼) | 掉挙悪作(じょうこおさ)。心の浮つきや後悔 |
| 緑鬼 | 惛沈睡眠(こんじんすいみん)。怠け、眠気 |
| 黒鬼 | 疑。疑いの心 |
ただし、色と意味の対応は一つに決まっていません。京都の廬山寺の「鬼おどり」では、人間の三毒とされる「貪欲」「瞋恚」「愚痴」の化身として、赤、緑、黒の三色の鬼が登場します。この寺では、瞋恚を表すのは青ではなく緑の鬼です。
色の意味は、寺や行事ごとの説明として受け取るのが正確です。どの説明でも共通しているのは、鬼の色が人の心の迷いや災いを表し、それを追い払うという考え方です。
角と虎皮の姿はどこから来たのか
角を生やし、虎の皮を腰に巻いた鬼の姿についても、よく知られた説明があります。八木透さんによれば、魔物が入って来やすいとされる「鬼門」の方角は艮(うしとら)で、そこから牛の角と虎の皮という連想が生まれ、江戸時代にこの姿が定着しました。
一方、吉田神社の方相氏は四つの目を持つ姿で、いま私たちが思い浮かべる鬼とは顔つきがだいぶ違います。鬼の面の顔は、時代と行事によって変わってきたものです。
福をもたらす鬼もいる
鬼が必ず悪役とは限りません。大分県の国東半島に伝わる修正鬼会(しゅじょうおにえ)は、国の重要無形民俗文化財に指定された正月の行事で、僧が鬼に扮して舞い、国家の安泰や無病息災を祈ります。行事は現在、天念寺、岩戸寺、成仏寺の三つの寺で行われています。
文化庁の日本遺産の解説は、この地の恐ろしい姿の鬼が、神や仏や人との親しい交流を通じて、集落に幸福を運ぶ存在へと変わったと説明しています。大分県の紹介によれば、行事では荒鬼が松明を持って堂内を荒々しく舞い、参拝者に「無病息災」の火の粉を振りかけます。ここでの鬼の面は、追い払う相手ではなく、福を授ける側の顔です。
愛知県奥三河の花祭(はなまつり)も、国の重要無形民俗文化財です。東栄町では毎年11月から1月にかけて各地区で行われ、悪霊を払い、神と人の和合、五穀豊穣、無病息災を祈ります。およそ40種類の舞が夜を徹して続くなかで、巨大な面を着けた鬼が鉞(まさかり)をかざして舞います。東栄町の中設楽地区では、主役の鬼を神の名で呼び、榊鬼を猿田彦命、山見鬼を須佐之男命、茂吉鬼を大国主命としています。ここでも鬼の面は、追い払われる悪役の顔ではありません。

鬼瓦と魔除けの鬼面
鬼の顔を魔除けに使う習慣は、屋根の上にも残っています。奈良国立博物館の解説によれば、7世紀の瓦には幾何学文や蓮華文が表されていましたが、奈良時代以降は平城宮や南都七大寺をはじめ各地で鬼面文が採用されました。鬼を表すことで、災いを追い払う「辟邪(へきじゃ)」の意味を込めたと考えられています。
のちには、鬼の顔がない棟端の瓦も「鬼瓦」と呼ばれるようになりました。鬼の面を家に飾るのも、同じ辟邪の考え方に立つものです。恐ろしい顔を外に向けることで、外から入ろうとする災いをにらみ返します。家の中に怒った顔の面を掛ける例は、ほかにもあります。宮城県から岩手県南部に伝わる「カマ神」は、多くが憤怒の形相をした土製や木製の面で、台所の柱や竈の上に、出入口や外をにらむように掛けられました。宮城県の文化財解説は、その目的を火難よけ、魔よけ、家内繁盛としています。飾るときは、玄関や部屋の入口に向けて掛けると、この意味に沿った置き方になります。
よくある質問
赤鬼と青鬼には、決まった意味がありますか?
全国共通の決まりはありません。赤鬼を貪欲、青鬼を瞋恚(怒り)とする仏教の五蓋の説がよく紹介されますが、京都の廬山寺の鬼おどりでは瞋恚を緑の鬼が表すなど、寺や行事によって対応が違います。
鬼のお面を家に飾ると縁起が悪いですか?
縁起が悪いとは限りません。奈良時代以降、寺や宮殿の屋根には災いを追い払う意味で鬼面の瓦が使われてきました。大分県国東半島の修正鬼会のように、鬼が無病息災や福をもたらす行事もあります。
鬼に角があり、虎の皮を着ているのはなぜですか?
魔物が入る方角とされる鬼門が「艮(うしとら)」であることから、牛の角と虎の皮が連想され、江戸時代にこの姿が生まれたという説明があります。
節分は年に一度ではないのですか?
節分は本来、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を指し、年に4回あります。旧暦で年の初めにあたる立春の前日の節分が、とくによく知られるようになりました。豆まきをして鬼を払うのも、この立春前の節分です。
なまはげは鬼ですか?
見た目から鬼と呼ばれることもありますが、秋田県男鹿市は、ナマハゲを怠け心を戒め、家の厄を祓い、実りや幸をもたらす来訪神と説明しています。鬼とは別の存在として扱われています。

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